退職後のシニア留学

 クラスメイトたちと

ニュージーランドの国土面積は日本と似ているが(日本の3/4)、人口約 410 万人の酪農国で、いろいろな面で日本とは対照的といってよい。小学生のころ聞いたエドモント・ヒラリーとテンジンとのエベレスト初登頂(1953年)快挙の話はずっと印象に残っており、以前から NZ に興味をもっていた。今回、定年退職を機に北島のハミルトンに 2008 年 9 月から1年余滞在した。英語を通しての異文化体験を目標としていたのでワイカト大学 Pathways college (WPC)に入り、ホームステイした。その生活体験を紹介してみたい。

WPCではレベルの高い英語教育が受けられ、またキャンパス内の図書館、カフェテリアなどが利用できた。このように環境がよく、 ニュージーランドで語学習得するのであれば W P C は最適と思われた。語学コースにはアジア、中近東、南米からの若者が多くきており、そのクラスにシニアが飛び込むことは気になっていたが、すぐに打ち解けその心配も杞憂に終わった。『この年齢で今さら何を勉強するの?』と彼らに関心をもたれるようになり、サボることができなくなった。3ヶ月毎にクラス替えがあり、いろいろな国の学生と接触し文化・慣習の違い等が実感できたのも貴重な体験であった。ホームステイ先は 70 代の夫妻の家で、主人は lawn bowling によく出かけ、奥さんはパートの仕事をもちながらも親切に世話をして下さった。食事の違いは明らかであったがシリアルにミルク・ヨーグルト・ハチミツを入れて食べる朝食は気に入り、帰国後も時々続けている。

ワイカト川の上空をとりどりの気球が飛ぶハミルトンではいろいろなイベントがあり可能な限り参加した。 Hamilton Gardens での Summer Festival 、 Hamilton 湖畔での Balloon Festival,  街中の道路を閉鎖しての V8 Supercars race 、大学での Kingitanga Day (マオリの日)、 National Agricultural Fieldays (農業関連のイベント)等々を楽しんだ。若い人は静かすぎて刺激が少なくもの足りないと言っていたが、私はハミルトンが大好きになった。住宅街は緑多く静かで、郊外はどこへ行ってもファームがあり一面緑いっぱいで、空気が澄み切っている感じであった。メガネにホコリが付きにくいことからも裏づけできる。夏はカラッとして快適であった。楽しみの一つは通学の帰途、街のパブに立ち寄りワイン/ビールをひっかけることであった。週1~2回は楽しんでいた。 また、ロトルアにある日本人経営の B&B には嬉しいことに日本式温泉風呂まであり、しばしば通った。滞在中、家内や友人が来て一緒に国内を周遊できたことも思い出になった。また、 B&B やホステル(バックパッカーズ)を利用したひとり旅も楽しんだ。印象に残る場所は枚挙にいとまがないが、例をあげれば最北端のレインガ岬やワイタンギ、南島のダニーデン周辺、ワイナリーのブレナムなどである。いろいろな人に巡り合え、中でも、たびたび招かれたファームでの生活体験は得難いものであった。別の知人にはゴルフによく連れて行ってもらった。プレー費が安いのがよい。聞いていた通り ニュージーランドの方々は親しみやすく、温かみがあり、物を大切にしていることが一緒に生活する中で実感できた。
このように ニュージーランドから多くのものを得ることができたが、それと同時に日本の文化、慣習などを紹介することでさらに交流が深まり、より親密になれるであろう。セカンドライフのスタートとしてのハミルトンの一年間は充実し貴重なものであった。多くの知人ができ、その後も email を楽しんでいる。その中には日本を訪れる方もいてこちらでお会いできるのも喜びである。再び ニュージーランドを訪問し、彼らと再会できる日を楽しみにしている。

ハミルトン郊外の美しい自然

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ワイカト大学日本事務所は、1989年にニュージーランド国立ワイカト大学がLanguage Instituteを設立したときに日本事務所としての提携を結び、それから30年以上留学生を送り続けています。 Language Instituteがワイカトカレッジとしてワイカト大学教育学部の一部になってからも、現地スタッフとの協力関係は変わらず、これまでに日本事務所からニュージーランドに留学した方たちは1万人を超えています。 ワイカト大学・ワイカトカレッジへの留学なら安心と信頼のワイカト大学日本事務所にお任せください。

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